私の議会報告

令和1年第2回定例会 7月11日 

■令和1年第2回定例会 7月11日 

ただいま上程されました第62号議案、平和の森公園再整備工事請負契約に係る契約金額の変更について、反対の立場で討論いたします。

私は、ことし第1回定例会で提出されました第39号議案、平和の森公園に300メートルトラック、100メートルコースはつくらない、また、既存の築山を生かすとした、全体で約4,000万円減額となる契約である第39号議案、平和の森公園再整備工事請負契約に係る契約金額の変更に賛成しました。たとえ今回の第62号議案に反対しても、300メートルトラック、100メートルコース、バーベキューサイトなどをつくることに変わりはなく、反対してもリスクだけしか残らないと言われます。しかし、この第62号議案は、前区長が示してきた整備の内容を進めることが最終決定する議案です。多くの区民の合意がないままで、平和の森公園の再整備が進むことが決定してしまいます。ことしの3月の第39号議案の否決から、議会で意思を示す場面がないまま進み、恐らく今後も再整備の内容を議論するなどということはないと思います。

ここで私の思いを少し述べさせていただきたいと思います。多目的広場外野フェンスかさ上げなどの追加等の第一工事に発生した不備等の改善に関する部分や具体的な部分に対して反対をとなえるものではないことは、最初に申し上げておきます。

反対の理由のその1です。平和の森公園に中途半端な300メートルトラックと100メートルコースをつくり、コンクリートの滑り台、バーベキューサイト等をつくってほしいと、区民は本当に考えているのでしょうか。2016年10月に平和の森公園再整備基本設計(案)が建設委員会で報告された時点から現在まで、私のもとには300メートルトラック、100メートルコース、コンクリートの滑り台、バーベキューサイトは必要ないと、そういった区民の声ばかりが届きます。昨年の区長選で、酒井区長は平和の森公園の緑と広場を守ることを公約に掲げ当選されました。区長は就任後、変更案5案を区民に提示し、平和の森公園再整備(第二工区)について区民の声を聞き、公約実現に向けて取り組んでいらっしゃいました。

昨年の8月から10月にメール、ファクシミリ、窓口などで検討案に係る意見募集をした結果も、300メートルトラック、100メートルコース、バーベキューサイトについて、必要がないという声が圧倒的多数でした。

しかし、ことしの第1回定例会に上程された、平和の森公園に300メートルトラック、100メートルコースはつくらず、また、既存の築山を生かす等の全体で約4,000万円を減額する契約は、議会の1票差で否決されてしまいました。その後、4月に行われた区議会議員選挙を通して、私はさらに多くの区民の声を聞きましたが、やはり平和の森公園に300メートルトラック、100メートルコースは要らないという声が圧倒的でした。これは、区長が区長選の公約に掲げた、草地広場を守る公約を今も支持している区民が圧倒的に多いことを示します。その状況で、区民合意がとれないまま、バーベキューサイトなど、しっかりとした管理体制と区民の協力が欠かせない施設をつくっていくことにも大きな不安を感じています。

反対の理由のその2です。区長は、「現在建設中の新体育館はオリンピック・パラリンピックの卓球の公式練習場となっていて、体育館のエントランスは公園整備の最終工事となるので、スケジュール的に新たな計画で進めることは無理である。新たな契約には議決が必要であるので、もう間に合わない」と言われます。また、「これ以上、工事を延ばして材料を無駄にして、再び工事をとめれば、事業者から損害賠償も発生しかねない。区民に大きな負担をかける可能性が高い」とも話されています。確かに、これ以上の遅延は負担が高いことは理解できます。しかし、区長が公約まで掲げたこの公園整備への思いは強いはずで、それなりの方法も考えていらっしゃったのではないですか。第1回定例会で変更案が否決されてしまうこと自体は、区民にも想像はつきました。区長が真に公約を達成して、区民の期待に応えようと考えているのでしたら、しっかりとパブリックコメントの手続をとり、今議会に300メートルラック、100メートルコース等をつくらず、草地広場を守る方向での契約を再度提示すべきであったと思います。

区は、今契約が今定例会で通らなかったら、大きな負担を区民が負うことになることを強調しますが、3月の議案否決から第2回定例会が始まるまでの3カ月間、この問題に対してどのように区長は取り組んできたのでしょうか。区長の公約を守る方法は、本当に皆無だったのでしょうか。どのような検討をして、公約を達成するためにあらゆる可能性を模索し、その結果、今回選んだ道しかなかったとの説明は、区民には一切されていません。区長は、区民が理解できるように、経過を説明する責任があると思います。

区民は、300メートルトラックと100メートルコース等をつくる、既存の築山を壊してつくりかえるから間に合わないということならわかるけれど、つくらない選択がオリンピック・パラリンピックに間に合わないという理由は理解できないと言います。議会への提案時期等、区長のやり方全てに、絶対に公約を実現し切ろうという強い意思が感じられないまま時間だけがたってしまったように思えて、大変残念です。

反対の三つ目の理由です。私は、前区長が、平和の森公園に体育館を整備し、トラックをつくり、スポーツ公園として整備しようと計画したとき、現在の平和の森公園ができた歴史を見続け、長年にわたり区民運動をともに取り組んできた一人、父、近藤正二にこのことをどのように考えるか聞いてみました。戦時中、主に政治犯、思想犯が収容されていた中野刑務所を、戦後、撤退させ、緑豊かな誰もが自由に集える公園をつくり、平和の森と名付けた30年に及ぶ中野区民の住民運動を考えれば、「先人たちの気持ちを酌んだ公園にしてほしい」と、父は答えると想像していましたが、父の答えは違いました。近藤正二は、「その時代、その時代に合った、住民が一番望むものをそのときの議員が考えて話し合い、選択すればいい」と言いました。刑務所を廃所し、平和の森公園をつくる運動が始まった時代は高度成長期、前の東京オリンピックで開発が進み、住宅や道路が整備され、都市化が進み、自動車の排気ガス、工場の煙など、公害も急速に広がった時代です。

中野区は、区の一等地に、人間にとり最も自由のない場所の象徴である刑務所を国から押しつけられていました。区民は、その開放運動に長い時間を費やし、国に物を言い続けたのですから、大変粘り強いタフな運動であったと聞いています。30年にわたる長き時間を要して、やっと自分たち住民が自由に使える場所、平和と自由と緑を尊重する公園を住民合意でつくったのです。この公園は、中野区民にとって、ある意味、戦中または戦後間もない苦しい時代からの脱却、戦争のない未来への希望の公園であったはずです。昭和の時代の先輩区民たちは、自分たちの個々の生活、それは平和と自由と環境によって守られていることを後世に残すことを選択したのです。

もちろん、スポーツも私たちの健康のために大切です。オリンピックが東京で行われるからこそ、この機会にスポーツ公園として整備するという考え方もあるでしょう。しかし、やはりこの公園は、先人たちが私たちに伝えた自由の大切さ、緑の大事さを継承していただきたいと、私は思うのです。平成の時代は情報化社会であり、子どもたちは、学校でもネットの中でも就職でも競争の中に置かれました。一度その競争から取り残されてしまったら、自分の力だけでは立ち上がれない人を多く輩出してきた時代でした。私たちは、次の令和の時代にどんな居場所を残したらいいのでしょうか。今後進む超高齢化社会の中で、高齢者が気軽に散歩できる、少子化の中で子どもたちが狭い家を出て外で気ままに遊べる、中高年が体力低下防止のために軽いジョギングをする、ファミリーでいつも自由に楽しめる、区民誰もが自由に安全で、安心して過ごせ、そこには競争や雑音等がない、少しでも心が癒やされるような空間があってほしいと、私は思います。

平和の森公園再整備(第二工区)の方針が最終決定する契約であるということで、この機会しか私の意思を表明することができませんでしたので、この議案をもって反対の討論とさせていただきました。どうぞ皆様、御賛同のほどお願いいたします。ありがとうございます。

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